はじめに
こんにちは。
うつ病の症状が強かった時期を経て、心と丁寧に向き合う大切さに気付いたささがにです。
今回は、「動きたいのに動けない…」そんな状態から一歩踏み出すきっかけになった、
【野菜の栽培】についてお話ししたいと思います。
一日の大半をベッドで過ごしていた日々
起き上がることすら億劫で、目が覚めてもまた眠ってしまう…。
「生きている」というより、「ただ時間が流れていく」ような感覚の中で過ごす毎日。
「このままじゃダメだ」と思っても、体も心もまったく言うことを聞いてくれませんでした。
そんなある日、ふと心に浮かんだのが、祖父の庭でした。
入り口には薔薇のアーチ。
咲き乱れる花の間に、割れた鉢や雑草も混じっている、ちょっと雑多で温かい空間。
花に特別な興味があったわけじゃないけれど、その風景と兄妹と遊んだ記憶がやさしく思い出されました。
そして、本当にふと、「何かを育ててみようかな」——そう思ったのです。
それが、野菜の栽培を始めたきっかけでした。
野菜が育つ日々が、私の心にくれたもの
思いつきで始めた野菜づくり。
けれどそこから、私の毎日に「楽しみ」が生まれ、心に変化が起きました。

例えばこんな楽しみや変化があったよ!
野菜の小さな変化が、心を動かした
朝、ベランダに出て「今日はどんな変化があるかな」と葉っぱを覗きこむと、
小さな花が咲いていたり、新しい葉が広がっていたりすると、「ちゃんと生きてる」「育ってる」と、まるで自分のことのように嬉しくなりました。
家族との会話が増えた
家族に共有する事で、共通の話題が増えました。
自分を認められるようになった
虫がついたり葉が枯れたり、思わぬトラブルに見舞われた時「どうしようかな」「こうしてみよう」と工夫する自分に気づいて「頑張れている私」を少しだけ認められるようになりました。
できた! の達成感が心の余裕に
トラブルが解決して、また元気に育つ姿を見られたときは、 小さなことでも「できた!」という達成感がうまれました。
(上手く行かない時は天候のせいに。全部を自分で背負いこまないのがポイントです♪)
社会とつながる感覚をくれた「収穫」
そして何より嬉しかったのが、収穫した野菜を食べる時でした。
お金にはならないけれど、
「自分が育てた野菜が食卓にあがる」という体験は、働けなくなった自分にとって、
【社会への参加】を感じられる、貴重な体験でした。
野菜を育てることを通して、
「あぁ、私はちゃんと大丈夫だ」
そう感じられる瞬間が、少しずつ増えていったのです。
動けなくても、自分を責めなくていい
「何かしなくちゃ…」そう思いながらも、身動きが取れない。
その状況は、本当に苦しくて、孤独で、つらいものです。
私自身、「この生活、いつまで続くんだろう」と、絶望していた時期がありました。
でも、私が一歩を踏み出せたのは、ほんとうにささいな「ふと思ったこと」がきっかけでした。
だから、もし今動けなくても、どうか自分を責めないでくださいね。
ある時ふと、きっかけはやってくるかもしれません。
それまでは、あなたのペースで、あなたの呼吸で、
一歩ずつでいいから、前に進んでいけたらいいなと願っています。
最後に
このブログでは、これからも私が育てている野菜たちの成長や、心の変化について綴っていきます。
もし「ちょっとやってみようかな」と思ってくれた方がいたら、一緒にその成長を見守っていただけると嬉しいです。
あなたの日々にも、小さな希望が芽を出しますように。
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